土の器にあるいのち

土の器であることを認め 内に頂いた、新しいいのちに目をとめる

さばくためではなく


「あぁ、またさばいてしまった。」
そう悔いることができるのは幸いなことです。

自身の意志でさばく時、主の光を見失い、また、人から自分を遠ざけることになります。


エス様は勝手にさばくことはなさらず、御父から聞いた通りでしかさばかれませんでした。

「わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いた通りにさばきます。」  ヨハネ福音書5章30節


むしろ、私達の身代りとして神様からのさばきをお受けになりました。


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」ヨハネ福音書3章16~17節


この方に現された神様の愛とそのいのちが、信じる者のうちに与えられているのです。



すぐに変わることはありませんが、失望せずに、日々悔い改めながら、このいのちから目を離さないでいよう。

さばかずに愛するという、その歩みにある喜びと栄光を、もっと深く知りたいと願います。 


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