土の器にあるいのち

土の器であることを認め 内に頂いた、新しいいのちに目をとめる

心と種

心という土壌にみことばの種が蒔かれます。 人の心に蒔かれた マタイ13:19 種は神のことばです ルカ8:11 この種から出た芽が実を結ぶためには、化学肥料(人間の知恵、考え、力など)は効果がありません。それらはむしろ土壌を痩せさせてしまいます。 自然…

心に留めるもの

聖書は、私たちが心に留めるべきものと、 そうではないものを教えます。 現代は、莫大な情報、刺激、物事が溢れ、 簡単にそれらに触れることの出来る社会です。 それらの中には、私達を神様の恵みから遠ざけるものが多くあります。 私が心に留めるべきものは…

嫌いでもいい

愛せない人がいる。祈っても祈っても、 どんなに好きになろうとしてみても、 嫌いでしかない。そんな自分も赦せない。 そのような困難さを覚えておられる兄弟姉妹へ。 嫌いな人のことは「好きではない。」でいいと思います。 愛することと、好きになるとは全…

さばくためではなく

「あぁ、またさばいてしまった。」 そう悔いることができるのは幸いなことです。自身の意志でさばく時、主の光を見失い、また、人から自分を遠ざけることになります。 イエス様は勝手にさばくことはなさらず、御父から聞いた通りでしかさばかれませんでした…

いい人だからではなく

イエス様を深く愛することができるのは 周囲の人を心から愛することができるのは その人が「いい人だから」ではありません。 自身の心の汚さを知り、無力だと人の前で認め、自己に絶望し、涙を流し、うなだれる。 このような自分をイエス様は私を愛し、赦し…

土の器にあるいのち

私達には力はなく、土の器に過ぎないと知り、内に頂いているいのち(イエス様)こそが私達のすべてだと理解しても、 なお、器の状態や見た目を、自身や自分達の力で整えたり、飾ろうとしてしまいます。 もしそのようにするなら、内にあるいのちが見えなくな…

重荷を下ろすとき

人はどうしても目に見える物事に頼りやすいものです。 自分の思いや力で随分と遠回りした後に、 「もう、何もかも神様だけにゆだねよう。信頼しよう。」 そう決心した直後に、心の重荷が不思議と消え、心に陽が差したように明るく感じるときがあります。 「…