土の器にあるいのち

土の器であることを認め 内に頂いた、新しいいのちに目をとめる

土の器にあるいのち

 

 

私達には力はなく、土の器に過ぎないと知り、内に頂いているいのち(イエス様)こそが私達のすべてだと理解しても、

なお、器の状態や見た目を、自身や自分達の力で整えたり、飾ろうとしてしまいます。

 

もしそのようにするなら、内にあるいのちが見えなくなってしまいます。自分だけでなく、周囲の未信者にも、その輝きは見えなくなってしまいます。

 

いのちを頂いた器は、見た目は土の器ではあるものの、以前の器とはまったく違うものです。

なぜならその内には、揺るがない平安、愛による喜び、そして聖さそのものであるいのち(イエス様)がとどまっており、

そのいのちにあって生きることができるからです。

 

周囲や見た目に惑わされずに、ただそのいのちに、しっかりと耳を傾け、繋がっていたいと願います。

 

「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。」コリント人への手紙第二4章7節

 

「、、いのちはあなたがたのうちに働いているのです。」コリント人への手紙第二4章12節

 

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