土の器にあるいのち

土の器であることを認め 内に頂いた、新しいいのちに目をとめる

いい人だからではなく

 

 

エス様を深く愛することができるのは

周囲の人を心から愛することができるのは

その人が「いい人だから」ではありません。

 

自身の心の汚さを知り、無力だと人の前で認め、自己に絶望し、涙を流し、うなだれる。

このような自分をイエス様は私を愛し、赦し、罪から解放して下さる。

この事実を信じ、イエス様の足元に近寄った時に

 

その時に、イエス様への愛と、主が愛される人々への愛が深まるのではないでしょうか。

 

 

「、、罪深い女がいて、、イエスの足元に近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その足に口づけし、香油を塗った。」ルカの福音書7章37節(新改訳2017)

 

「いま彼女が示した大いなる愛は、彼女の多くの罪がすべて赦されたということの、何よりの証拠なのだ。」ルカの福音書7章47節前半(柳生訳*)

 

*柳生直行 1920~1986 キリスト教学者 CSルイス、ウィリアムバークレー等の著書を翻訳

 

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