土の器にあるいのち

土の器であることを認め 内に頂いた、新しいいのちに目をとめる

ヨハネによる福音書

さばくためではなく

「あぁ、またさばいてしまった。」 そう悔いることができるのは幸いなことです。自身の意志でさばく時、主の光を見失い、また、人から自分を遠ざけることになります。 イエス様は勝手にさばくことはなさらず、御父から聞いた通りでしかさばかれませんでした…

土の器にあるいのち

私達には力はなく、土の器に過ぎないと知り、内に頂いているいのち(イエス様)こそが私達のすべてだと理解しても、 なお、器の状態や見た目を、自身や自分達の力で整えたり、飾ろうとしてしまいます。 もしそのようにするなら、内にあるいのちが見えなくな…